AI時代における自動運転車の社会的ルールの在り方検討 サブワーキンググループ(第4回)
概要
- 日時:2024年3月29日(金)13時00分から15時00分まで
- 場所:オンライン
- 議事次第:
- 開会
- 議事
- 事務局説明(第3回AI時代における自動運転車の社会的ルールの在り方検討サブワーキンググループにおける主なご意見およびご意見を踏まえた想定論点について)
- 自動運転と民事責任の在り方
- 過失犯に関する判例の概要―自動車事故事案を中心にして
- 構成員からの問題提起
- 閉会
資料
- 資料1:議事次第(PDF/37KB)
- 資料2:構成員名簿(PDF/128KB)
- 資料3:第3回AI時代における自動運転車の社会的ルールの在り方検討サブワーキンググループにおける主なご意見およびご意見を踏まえた想定論点について【AI時代における自動運転車の社会的ルールの在り方検討サブワーキンググループ事務局】(PDF/710KB)
- 資料4:自動運転と民事責任の在り方【後藤構成員】(PDF/658KB)
- 資料5:過失犯に関する判例の概要―自動車事故事案を中心にして【今井構成員】(PDF/394KB)
- 資料6:自動運転といわゆる道交法 38 条1項問題【髙橋構成員】(PDF/303KB)
- 構成員提出資料
- 第4回AI時代における自動運転車の社会的ルールの在り方検討サブワーキンググループ出席者一覧(PDF/66KB)(令和6年5月20日更新)
- 議事録(PDF/491KB)(令和6年5月20日更新)
議事録
児玉参事官: はじめに事務連絡です。本日の会議は、完全オンラインでの開催となります。 構成員の皆様は、会議中はカメラオンで、発言時にはマイクのミュートを解除いただきご発言をお願いします。なお、他の方が発言されている際は、ミュートにしていただければと思います。また、傍聴者の方は、カメラ、マイクをオフにしていただきますようお願いします。
次に、資料を確認します。事前にお送りしました議事次第に記載のとおりとなりますが、資料といたしましては、議事次第、構成員名簿、事務局説明資料、後藤構成員説明資料、今井構成員説明資料、髙橋構成員説明資料、構成員提出資料、出席者一覧となります。お手元にない等の状況がございましたら、Teamsのチャット機能、もしくは事務局までメールにてお問い合わせいただければと思います。本日の出席者については、時間の制約もありますので、失礼ながらお手元の出席者一覧の配布をもちましてご紹介に代えさせていただきます。なお、落合構成員が30分間ほど途中退席される予定と伺っております。
また、前回に引き続きまして、本日はDADCからから大野様、菅沼様が陪席者としてご参加されています。本会議の資料及び議事録は後日公開となりますこと、ご承知おきください。
それでは、ここからの進行は小塚主査にお願いしたいと思います。小塚主査、お願いします。
小塚主査: ありがとうございます。年度末のお忙しいところご参加いただきましてありがとうございます。それでは、議事次第に従いまして進行をしたいと思います。
本日はまず、後藤先生に民事責任に関わるお話をいただきます。その後、今井先生から刑事責任に関わるお話をいただきます。今回は、全くテーマが異なるお話をいただきますので、それぞれの先生のご発表ごとに意見交換を行う形とさせていただきます。その後、髙橋先生より資料提出をいただいておりますので、これに基づいて問題提起をしていただきます。
各構成員からの発表に先立ちまして、事務局から説明をいただきたいと思います。それでは須賀参事官、よろしくお願いいたします。
須賀参事官:
(以下「資料3:第4回事務局説明資料」に基づきご説明)
資料3:第4回事務局資料に基づき、第3回SWGにおける主なご意見、第3回SWGにおけるご意見を踏まえた想定論点等についてご説明
小塚主査: ありがとうございました。毎回活発にご議論いただいているおかげで、想定論点が深まってきたと感じております。
それでは、議事2-(2)に移ります。自動運転と民事責任の在り方ということで、後藤先生より資料をご用意いただいております。後藤先生、よろしくお願いいたします。
後藤構成員:
(以下「資料4:自動運転と民事責任の在り方」に基づきご説明)
ありがとうございます。事務局の方から、民事責任の在り方全体について考えを述べて欲しいと依頼を受けましたので、お話をさせていただきます。
スライド2ページ目をお願いします。釈迦に説法な部分もありますが、民事責任制度、いわゆる損害賠償法の制度設計を考えていくということで、出発点として、何のために民事責任制度があって、それをどのように設計しているのかというところから確認することが大事だと思っています。民事責任制度の目的としては、加害者に損害を内部化させることを通じて、事故や違法行為を抑止することと、被害者の損害の回復の二つが挙げられます。伝統的な民法学では、損害の回復の方を主たる目的とすることが多いですが、法の経済分析等の考え方を踏まえますと、少なくとも事故の抑止は損害の回復と並んで、もしくは場合によってはそれ以上に重要な目的として捉えることができるかと思います。どちらが重要かという話ではなく、どちらも重要な目的であると捉えて説明をしたいと思っております。
その上で、事故の抑止についても、被害者の救済についても、いずれも民事責任制度によって達成しなければならないものでは必ずしもありません。他の手段も存在しうるわけでありますので、その補完関係をどう考えるかということが重要になるかと思います。事故の抑止については、これまでも議論になりました刑事罰も存在しますし、また、行政による安全規制も存在しています。自動運転車の場合には、そもそも自動運転車が普及していくと、ヒューマンエラーによる事故が減少することで事故が抑止されるという効果もあるだろうと思っております。被害者の損害の補償については、損害賠償によらなくても、例えばワクチンの副作用における予防接種健康被害救済制度のような社会保障が存在しておりますので、このような形で対処することもあり得ますし、また、交通事故については、自賠法による強制保険としての自賠責保険が存在しています。責任保険には強制のものだけではなく任意保険もありまして、自動車保険は自賠責に上乗せして任意保険に入ることが一般的かと思います。さらに、加害者の責任保険だけでなく、被害者側がファーストパーティー型の損害保険に入ることもあり得ます。これによって損害をカバーすることも、正当化されるか否かという問題はありますが、損害の回復という面からは同じような機能を果たします。そういった選択肢が他にもあることを踏まえながら、制度設計に際しましては、自動運転車の開発、安全性確保及び安全性向上のインセンティブをメーカーに与えるためにどうすれば良いのかという点と、自動運転車の普及により事故総数の減少が期待される中で、それでも発生した事故の被害者の損害をどのように回復するかという、二つの課題を同時に達成することが政策目標になるかと思います。次のページお願いします。
これも既にご案内のことかと思いますが、自動運転に関する民事責任についての現行法を適用するとどのようになるかという点を、人損と物損に分けて確認しておきたいと思います。人の死亡または負傷という損害が発生した場合は、自賠法3条の運行供用者責任が適用されることになります。これは、民法709条と異なり厳格責任とされておりまして、いわゆる免責3要件を運行供用者が立証できない限り、運行供用者は責任を負うことになっております。その上で、運行供用者責任について、自賠責保険が強制加入とされておりまして、人が死亡した場合には3000万円まで保険金が出ることになっています。それに上乗せする任意の自動車保険ですが、対人の責任保険については、損害保険料率算出機構の統計によりますと、保険として入っているものが75%程度で、自動車共済も含むと88.7%の方が任意保険に入っています。任意保険に入っている場合の対人賠償の限度額が無制限となっているのが99.6%ですので、自賠責は3000万円までであるわけですけれども、約75%、見方によっては88%以上の場合において、人損については保険金が無制限にフルカバーされるという現状になっています。製造物責任もありますが、前回藤田先生よりお話をいただきましたので省略させていただきます。
物損については、運行供用者責任は適用されませんので、民法709条の過失責任としての不法行為責任があるだけです。この場合、被害者側に加害者側の過失を証明する責任があります。また、強制保険としての自賠責保険も存在していませんので、不法行為の証明ができた場合に任意保険に加入しているかということが問題になります。対物の責任保険についても、加入率は同程度でありまして、限度額については無制限となっているものが96.2%ということで少し低くなっておりますが、かなりの場合、限度額の無い責任保険に入っているという状況にあります。以上が、現行法で適用される制度となります。次のページをお願いします。
どのような前提を置いてこれから検討するのかという点ですが、まず、レベル4以上の自動運転車を想定して、乗っている人が介入できないという状況を想定しています。利用形態は、これから様々な態様が出てくるかと思います。いわゆるオーナーカーが自動運転車に置き換わることを想定して議論されることが多いのですが、現実にはビジネスユース、例えば無人タクシーや無人のコミュニティバス、または、トラックが隊列を組んで、先頭の車両は人が運転していることも考えられますが、後続に無人のトラックが走行するという形も出てくることと想定されます。このようなビジネス利用の場合には、おそらく無人タクシーや無人バスであれば、遠隔監視センターがあり、何かあった際にはそこが介入する余地が残されていると思われますし、事業者でありますので、業法によって運行する場合には自賠責保険だけでなく対物も対人も無制限の責任保険に入ることを義務付けるという可能性も存在することが指摘できるかと思います。ただし、ビジネスユースといった場合、考えてみると、事業者が自社の荷物を運ぶために自動運転車を使うということもあり得ます。その場合はオーナーカー寄りの整理になるかと思いますが、いずれにせよ、二つの類型があるという点は注意する必要があると思います。いずれの場合においても、自賠法の適用としては、レベル4であれレベル5であれ、運行供用者は存在するということはここで確認しておきたいと思います。
その上で、運行供用者、自動運転車の利用者についてですけども、車両メンテナンス・ソフトウェアアップデートに懈怠は無いということを前提に、事故が起きた際には車の不具合であるということで考えています。前回の藤田先生のお話では、自動運転車の不具合をどう捉えるかというところで、総体としては事故が減少するのですが、ごくまれに、人間であれば起こさないような事故を起こしてしまう場合があり、その場合にどうすべきかという点に絞った議論をされておりました。それがおそらく一番のハードケースになろうかと思うのですが、現実には、それ以外の不具合も起きうると思っております。例えば、単純なプログラム作成時のミスにより入力を誤ってしまった、あるいはバグを作成時に発見することができかなったが、それが何らかの場合に発現することがあると思います。また、ディープラーニングの結果としてシステムが想定外の動きをしてしまう等、いろいろな形があろうかと思いますので、それらを考える必要があると思います。例えば単純なバグを見落としたというような場合について、前回の自工会からの話からすると、そのようなことは無いように作っているという話だったかと思います。それは非常に望ましいことと思いますが、そうはいってもミスは起こりますので、その場合については考えておかなければならないと思っております。また、プログラム作成時の話だけはなく、その後アップデートの可能性等も含め、もっと精緻に分析しなければなりませんが、時間の都合上簡単な説明とさせていただいております。次のページお願いします。
そこで、どのような民事責任制度の在り方が考えられるかということですが、考えられる選択肢を大きく分けて三つ示しております。①は、やはり事故の原因は運行供用者責任側ではなくメーカー側にあるということで、運行供用者責任を廃止、または過失責任化して、その代わりにメーカー側の責任が重くなるようにするという考え方です。具体的には、製造物責任の欠陥の証明責任を、現在は被害者側が負っていますが、欠陥が無かったことをメーカー側が証明できない限り、メーカー側が責任を負う形にするという考え方です。他方、そうするとメーカーの開発インセンティブを阻害してしまうかもしれず、運行供用者も自分が悪いことをしているわけではないということで、一定の基準を達成していれば、運行供用者及びメーカーいずれも責任を負わないということにした上で、メーカーの拠出による公的補償基金制度、例えばワクチンの場合のようなものを作り、それによって被害者への補償を行い、自動運転車の安全性は行政の安全性規制によって確保するというのが②の選択肢になります。③は、現行法を維持して運行供用者がまず責任を負い、その上で車側に原因があるのであれば、運行供用者又はその保険会社から、メーカーに対してPL法に基づく求償が実効的になされるようにするというアプローチです。2018年に国交省が作った報告書で採用されたのは、暫定的に③の案にするというものでした。それは、被害者の迅速な救済という観点からは、③が一番実効的ではないかということで取られたのではと思います。
他にもバリエーションはあり得ると思いますが、以上の三つについて、冒頭で申し上げた事故の抑止という政策目標と、被害者の損害の補償という政策目標それぞれについてどのようになるか考えてみました。まず、事故の抑止につきまして、①の選択肢は、車の安全性を一番コントロールできるメーカーが責任を負うことになりますので、メーカーが事故のコストを内部化するということで、メーカーに対する動機づけとしては一番しっかりしたものかと思います。
②では、メーカーが安全規制を達成している限り、民事責任を負うことはないということになります。この場合、事故の抑止が十分かは、行政による安全規制がどのような内容になるのかによります。緩すぎれば不十分だということになるかと思いますが、他方で、行政による安全規制、特に事前規定が厳しすぎると自動運転車の開発や社会実装が遅れてしまうということになりかねませんので、そのさじ加減が難しいところです。これについては、ガイドラインというお話もありましたが、その内容を見ないと何とも言えないと思います。ガイドラインの中身につきましても、例えば事故は起こさないようにする等の抽象的なものですと、これがメーカーにとって意味のある指針になるのかという疑問が出てきます。もう少し数値化されていないと判断できないと素人としては思いますが、これについては当局とメーカーとの間でのやり取りを伺いながら勉強できればと思っております。
③は現状とられている選択肢ですが、これは結局、運行供用者、また、その保険会社からメーカーに対する求償がどれだけ実効的になされるかという点に依存します。途中申し上げたように、利用態様として、例えば無人タクシーなどを考えますと、運行供用者とメーカーが実は同一の企業グループに属する、例えばGoogleタクシーのような場合には、求償という問題をそれほど深刻に考える必要は無くなってくるかと思います。これは、運行供用者とメーカーがより密接につながっていて、そこでの契約などでも処理できることがあろうかと思いますので、それによっては十分になる可能性がありますし、安全規制によって補完するということも可能と考えられます。
次に被害者に対する救済についてですが、③は現状どおり、運行供用者が責任を負い、それに対して自賠責保険も任意保険も付いてきますので、かなり広い保護が付されるかと思います。これに比べて①の場合、メーカー側が責任を負うということになります。おそらくメーカー側はしっかりとした責任保険に入られるでしょうから、保護の水準としてはおそらくあまり変わらないということになろうかと思うのですが、欠陥が存在しないということが証明される可能性というのは、メーカー自身が証明した場合の方が、運行供用者が証明しようとする場合よりも多いのではと考えられますので、①の方が責任なしとなる可能性が少し高いかもしれません。しかし、その点はまだはっきりと言えないところではあります。
被害者の損害の補償という観点から悩ましいのは②の選択肢です。現状では、自賠責に加えて任意保険があり、その限度額は無制限になっているところが多いとしますと、②の場合は、公的補償基金制度に頼るということになるわけですが、公的補償基金制度の場合には、一般的には支給額に上限値が設定されるかと思います。ワクチンの場合には、死亡した場合4000万円になっていたかと思います。現在の、限度額が無い対人の責任保険では、損害がフルに保険金でカバーされるということと比較しますと、被害者救済の水準が低下するということがあり、その点、自動運転車の社会的受容性に対してネガティブな印象を与えてしまうのではないかというところが懸念されるところでございます。
そうしますと、②はなかなか読みづらいところがあり、①の方では、かなり大きな制度変更になると思いますので、国交省の研究会でも③が取られたということになるわけです。しかし、③の場合、いわゆる運行供用者による製造物責任の肩代わりの問題をどのように考えるかという問題があります。製造物責任を負うべきメーカーに対してインセンティブをどう与え続けるかというのは、先ほど申し上げた求償の話と安全規制の話によって代替されうるわけですが、運行供用者が民事責任を負わされることをどう考えるかという話が残ります。この点については、訴えらえるという負担感はあるのかもしれませんが、運行供用者は結局任意保険に入っておけば自腹を切ることは無いと思いますので、そうすると保険料の負担という話になってくるかと思います。保険料の負担ということであれば、自動運転車の導入によって事故自体が減少するのだとすると、例えば自動運転車を使っている場合には保険料が大幅に安くなるというメリットがあれば、トータルで比較すると納得感を阻害するほどの負担ではないということもあり得るかと思います。これは金額次第ということもあり、あくまで可能性にとどまりますが、併せて考慮する必要があると思っています。
このように、なかなか結論は出ないのですが、今後考慮していく要素として、本日申し上げたことのほかに、例えば自動運転車の利用形態、オーナーカーなのか、ビジネスユースなのか、それによって責任の在り方に違いを設けるということは、困難かもしれませんが考えられなくはないかと思います。また、以前、海外メーカーの場合を考えるとなかなか難しいところもあると申し上げました。しかし、これについてはどの選択肢を取った場合でも残りますので、決定的な話ではないかと思っております。
以上では、人損の場合のみを考えてきたのですが、物損の場合どうするのかという問題を最後に簡単に指摘したいと思います。物損の場合には、そもそも今の自賠法の運行供用者責任は存在しませんので、不法行為責任のみになります。そうしますと、自動運転車の利用者は過失が無いということになりますので、被害者はPL法に基づいてメーカーを訴えるしかなくなります。それは困難であるということになりますので、その場合に被害者はどうするのかという話ですが、もしPL法を強化するということをしないのであれば、被害者側が自分の損害保険でカバーすることに頼らざるを得なくなるかもしれません。これが大きな問題になるかと言いますと、交通事故の物損は、私の誤解かもしれませんが、多くの場合他の車や道路のそばにある建物であったりするかと思います。その場合、被害者が損害保険に入るということ自体は可能性が低いものではないと思っております。他の車であれば自分の自動車保険に入っているかと思いますし、建物であれば火災保険に入っているかと思いますので、そこはカバーできるのではと思います。これに対して、人損については、歩行者が自動車にはねられた場合に備えて自分で損害保険に入っておくということはなかなか期待できないところがありますので、そこが人損と物損の大きな違いになってくるかと思います。
以上、結論が出ない話で恐縮ですが、これまで考えたことを発表させて頂きました。以上です。
小塚主査: ありがとうございました。それでは、意見交換の時間が20分程度あるため、ご意見をいただきたく思います。従来同様に、ご発言がある皆様は、Teams上の挙手ボタンもしくはチャットをいただければと思います。横田構成員から資料が事前に提出されているため、まずはそちらをお聞きできればと思います。横田構成員、お願いします。
横田構成員: 横田でございます、ご指名いただきありがとうございます。また、後藤先生、ご説明いただきましてありがとうございました。
資料に沿って説明させていただきます。2ページ目は後藤先生からも言及がありました、2018年の国交省の検討会の内容でございます。青字で記載のとおり、自動運転システム利用中の事故により生じた損害についても、従来の運行供用者責任を維持しつつ、保険会社等による自動車メーカー等に対する求償権行使の実効性確保のための仕組みを検討することという、この案①が適当であると考えられます。これは後藤先生のご説明における案③に該当するものでございます。案②や案③については、メーカー等に一定の負担を求めるというところで、どちらかと言えば後藤先生のご説明における案①や案②に該当すると思っております。次のページをお願いします。
こちらは、今までの議論を踏まえて、前回第3回までのサブワーキンググループにおいて発言させていただいた内容等をまとめたものでございます。①が補償主体の明確化、漏れのない補償体制の構築についてです。第3回のサブワーキンググループで話が出ました事前的・一般的アプローチを採用した場合に、人間の運転者であれば過失ありとするところについて、限定的ではありますが、誰も責任が追及できなくなる可能性があることを理解いたしました。その場合は、どういった形で補償体制を構築していくかを明確にしていく必要があると思っております。例えば①国や②自動運転車(自動運転サービス)の提供者、あるいは③自動運転車(自動運転サービス)の利用者が候補となると考えております。
もう1点は迅速な被害者救済の確保の観点で、やはりスピード感も大事と考え、発言をさせていただいていました。まず手動運転の場合は、事故状況を運転者等に聴取することがありますが、自動運転の場合は運転者が存在しないため、保険金の支払いが実施できない、あるいは遅延する可能性があります。こういった観点で、迅速な被害者救済を担保するためには、自動運転車に記録されたデータが必要になると考えております。現在、レベル3の自賠責保険においては、事故原因の究明を目的として、自動運転車に記録されたデータを自動車メーカーから保険会社に提供していただく、というスキームの構築を進めているところです。レベル4以上でもこの体制が構築できれば、迅速な保険金支払いができるようになると思っております。
3点目に記載しているのは、今後本格的な自動運転社会が到来した時に、事故の件数が増えてくると思われますが、これについて全件事故に対する調査を実施しないと欠陥の有無も判断できないという場合には、件数が増える分、被害者救済に時間を要することになります。欠陥の有無を一定のガイドラインにより簡易的な判断ができ、判断が難しいところのみ調査を行う、といった軽重をつけていかないと実務面で回らなくなる可能性があると考えております。
最後に、現行もそういった自動運転社会に対応する特約を作っております。従来、対人賠償・対物賠償責任保険は、法律上の被保険者に交通上の賠償責任が生じた場合を補償対象としていましたが、この被害者救済費用特約は、名称は保険会社で差異がありますが、被保険者に法律上の損害賠償責任が無かった場合に、被害者に生じた損害の額を費用保険として先に補償対象とすることで、迅速な被害者救済を行っていく特約となっています。こちらは資料の5ページの参考資料もご参照いただきたく思います。次のページをお願いします。
4スライド目が、後藤先生の3案について、損保協会としてどのように捉えているかの整理でございます。事故の抑止という観点はここには載せていませんが、被害者救済の観点の評価でございます。案③、国交省の案①については、現行から後退感はないと思っております。その一方で、案①や案②については、こちらに記載しているとおり、若干問題点があると思っております。案①の製造物責任の欠陥の証明責任をメーカー側に転換するという場合においては、従来の自動車保険におけるきめ細やかな対応、例えば示談代行等ができなくなるため、被害者側は事故対応時に少し負担が増える可能性がある点が、実務上の部分で指摘しているところでございます。また迅速性の観点では、欠陥有無の判断に時間がかかる可能性もあると考えております。案②の公的補償基金制度の導入することについては、仕組み次第と思われますが、現行に比べて支払いのタイミングに遅れが生じる可能性がある点や、後藤先生もおっしゃったとおり、対人賠償責任保険も含めると、現行多くの契約者が無制限であるのに対して、被害者救済が後退する可能性がある点を少し懸念しています。資料中央の「案の理解・疑問点」の列において※印で記載している箇所は、案①、案②を採用した場合に論点となると捉えています。案①については、自動運転のレベルが低いところは引き続き自賠法・PL法を使っていく中で、レベル4以上で異な った法体系になっていく場合、その切り替わりをどうしていくのかという点が論点だと思 っております。案②については、損害査定、特に実損払いの形とした時に、現行保険業界で行っている損害査定をどのように実施していくのか、仮に被害者側に過失があった時に過失相殺を行っていくのか、また、メーカーが出資する額をどのように決めるのか、これらが論点になると思っております。案③については、後藤先生のご説明でも納得感が得られるのかと言及がありましたが、運行供用者責任は、自動運転の世界であっても所有者・使用者には引き続き生じると考えるため、納得感を得られないことは基本的にはないと思 っております。また、保険料にも言及がありましたが、いわゆるODDの内側か外側かという点で、外側の世界については案①から案③で保険料の負担は基本的に同じになるはずで、ODDの中では事故減少が想定されるため、その部分の保険料負担は減っていき、より適正化していくものと思っております。
最後に、物損についての言及もございましたため、簡単に触れさせていただきます。現行において、加害者が分からない損害に対しても、後藤先生も言及されたとおり、車両保険等で一定の自衛策は講じています。また、人損と物損の法的整理が現状異なることも踏まえて、物損に関する法的な責任を明確にしつつ、例えば加害者側の保険に現在対人にのみ適用される自賠責保険を物損に拡大していくといったことも考えられる選択肢ではあると思っております。ただ、それについては現行と制度が大きく変わるところもあるため、これまでの整理との整合も踏まえて、慎重に検討していく必要があると考えております。以上です。
小塚主査: 横田構成員、ありがとうございました。大勢の先生よりご発言の希望をいただいております。髙橋先生、稲谷先生、中原先生、佐藤先生の順序でお願いいたします。まず髙橋先生、よろしくお願いいたします。
髙橋構成員: 「資料4:自動運転と民事責任の在り方」5ページの「考えられる選択肢と考慮要素」についてですが、②の公的補償金制度は少しまずいのではないかと思っております。以前、旧あすの会の時に、犯罪被害者等給付金制度を拡張し、新たな被害者補償制度を作ろうという運動をしていたことがありました。その際に官僚の方から、なぜ犯罪被害者だけ完全な補償を予算でやらなければいけないのか、ということが必ず問題になってくると言われました。例えば、生まれながらにして障害を持っている方や、天災で被害にあった方は国から完全に補償されていないのに、なぜ、犯罪被害者だけを完全に補償するのか、不公平ではないかとの問題が起きるとの指摘がありました。同じような問題が公的補償金制度を導入すると起きてくると¬思います。なぜ自動車の自動運転の被害者だけが国から完全な補償を受けなければいけないのか、という話になってくると考えます。では、補償基金を設けるとするとどうなるかと言うと、今度は、お見舞金程度の金額にしかならないという点で、被害者の救済にならず、これまた問題であると思います。
③については、運行供用者からすれば、自動運転をしており運行に関して何も支配していないのにもかかわらず、保険会社がついているとはいえ、形式上だが、なぜ運行供用者が被告となり訴えられなければならないのか、という気持ちになるのではないでしょうか。そこが少し難点ではないかと思っております。ただ、被害者補償という観点で考えれば、③は一番実効性があると思っております。以上です。
小塚主査: 髙橋先生、ありがとうございました。それでは稲谷先生、よろしくお願いいたします。
稲谷構成員: ありがとうございます。後藤先生、ならびに横田構成員からご説明があった部分を合わせてのコメントとなるかと思います。自動運転の文脈において民事責任や保険を考えていく上での一番のポイントは、情報の非対称性が大きい状態で、どのような方法で、自動車運転自動車が起こした事故という負の外部性を、自動運転車のリスクを管理している自動車会社に内部化してもらうかかであると思っております。その上で、この問題を考えるにあたって、現行法においては欠陥や障害といったものが、被害者が直接請求するにしても、保険会社が求償するにしても、負の外部性を内部化させる際に要件として問題となると理解しております。この欠陥や障害について、情報の非対称性が大きいために、そもそも裁判所のように技術的専門性を備えない機関が、単独で適切かつ迅速に認定するのは難しいのではないかという話も出されていたように記憶しています。例えば、前回も挙がった内容とも重なりますが、欠陥や障害という概念自体を、事故情報等に基づいて適宜アップデートされる型式認証等で用いられる安全性能基準と紐づけておき、裁判所の判断基準の明確化を予め図っておくことはいずれにせよ必要だと思います。また、海外メーカーの話にも言及されておられましたが、事故調査自体を実効性のあるものにしておくことも、情報の非対称性によって生じる請求困難や求償困難という問題を解消できる方向に働くと思います。民事責任や保険の問題を考えうる上でも、これらの点と併せて考えていくことは大事なポイントになってくると思っております。
他にもいくつかポイントがあると考えます。例えば今回ハードケースの中で挙がっていなかったものとして、コネクテッドカーのようなものが今後実装されてくることを考えると、道路インフラとの協調の失敗のようなものをどう考えるかという点や、その調査をどう行っていくのかといった点についても考えていく必要があると思います。今回お話になられた民事責任に関する論点そのものではございませんが、折角ハードケースをいくつか挙げていただいておりますので、挙げさせていただきました。
また、横田構成員からいただいた資料において運行支配にも言及されていますが、自動運転自動車の場合にどういう意味で搭乗者が運行支配しているといえるのかについては、とりわけリスク管理者にリスクマネジメントのインセンティブを与えて負の外部性を内部化するという観点からは、改めて説明が必要とされるところではないかと、実質問題として感じます。
一方で先程申し上げたように、仮に事故調査の実効性の問題がある程度クリアされると、製造物責任等を拡張した場合には、求償制度の強化を行なった場合と比較して訴訟が長引く可能性があるのではないかという問題も、それほど大きくならない可能性もあると思います。もちろん事故調査の実効性をどのように確保するのかという議論が結論に影響しますが、ご指摘になられているほどには、①の難点は大きくないということもあるのではないかと考えます。
なお、民事責任や保険を適切に運用する上での情報収集という問題、特に海外企業からの調査協力をどう得るのかという問題については、域外適用のようなものをどう実効化させるのかという論点があるのと同時に、DFFTを前提としたガバメントアクセスの範囲をどのように考えるのかという論点もあります。日本の企業が海外で何か事故を起こした際に、当該国または地域に強力な域外適用規定があり、そちらに従うとガバメントアクセスをされるが、日本の域外適用規定には実効性がないとなると、日本企業が一方的にデータを持って行かれかねないという問題です。この辺りの問題についても、国内外で均衡が取れるような形で進めていく必要があります。グローバルに見た場合に、日本企業だけが調査協力の局面で不利に立たないように配慮しつつ、調査協力のインセンティブをあげていくような制度、私は訴追延期合意を応用することを主張していますが、このような制度を整備していくことを考えたほうがよいと思います。繰り返しになりますが、事故等に関する調査制度がうまくいけば、ここで挙げられている候補の内、特に①と③に関してはそこまで差が無くなってくると思います。
最後に、将来的に製造責任でいくとしても、あるいは自賠責でいくとしても、安全性能基準と結びつけた欠陥・障害概念を用いて、いわば最低限の基準を設けた上で、負の外部性の内部化をやらせていくという基本的な方向性になっていると思います。先程申し上げたように、これらの概念も最新の技術水準に結びつけながらアップデートしていくこと情報の非対称性を下げていくことは必要です。ただ、やはり究極的には、技術の開発速度・発展の仕方に鑑みると、また、安全性そのものついて競争させる、つまり安全性に対して向上させるインセンティブを持たせるということになると、リスクマネジメントの巧拙と責任の幅が比例するような制度、事故発生と紐づいたより単純な厳格責任のようなものの導入も、①の方向性を推していくという観点からは考えられてもよいと思います。なお、そうなると、責任追及も容易化しますので、被害者補償のような問題も、①の方向を発展させる方向へ進んだ方が綺麗に解決する可能性もあるのではと思っています。以上です。
小塚主査: ありがとうございました。それでは、民法がご専門の中原先生、お願いいたします。
中原構成員: 私も公的な補償制度について述べますが、こういった公的な補償制度を考えるときには、責任制度との関係での位置づけが重要かと思います。今回横田構成員から検討のあった点は、責任制度によって責任を肯定されない場合に、そこを補完するという意味での補償基金の制度であったと思います。後藤先生がプレゼンテーションの中で提示された3つの選択肢の内の②は、責任制度そのものを代替することを念頭に置かれたものではないかと思います。責任制度を補完する場合には、責任制度自体をどのように構築するかが前提論点としてあります。
以下、後藤先生のプレゼンテーションについてのコメントですが、責任制度を代替する一番のメリットは、被害者にとっては訴訟手続に依らなくてよく、行政的な窓口に補償申請をすることによって、簡易・迅速に補償を受けられることにあろうかと思います。もちろん自賠法の現在の仕組みでも、強制責任保険制度と保険会社に対する直接請求の仕組みがありますので、実際保険金の額の範囲内であれば、被害者が簡易・迅速に補償を受けることができますが、それを超える場合には問題となってくるということです。選択肢②のような補償基金の制度を設けるにあたっては、補償の要件をどのように設定するのか、あるいは補償の水準をどのように設定するか、特にそれを超える場合に責任制度による補償の道をなお残すか、補償の要件の充足等の判断を誰がどのように行うのか、そもそも誰が基金を運営するのか、補償の原資は誰が拠出するのか、原因者に対する求償の仕組みを設けるか等、一般的には様々な問題があると思います。後藤先生のプレゼンテーションでは、免責とセットにすること、あるいは行政規制による事故の抑止が想定されていましたが、責任制度と相互補完的なものにするということや、原因者に関する求償の仕組みを設けるという選択肢も考えられます。よって、あくまで例示であると理解しています。いずれにせよ、公的補償基金制度を設ける場合には、労災補償、あるいは公害健康被害補償、医薬品副作用被害救済制度、犯罪被害給付制度、予防接種健康被害救済制度等の既存の制度、あるいは外国の諸制度を参考にしつつ、具体的制度を構築することが必要になります。さしあたりコストの面を度外視すると、ある程度自由な制度設計は可能であろうと思います。ただ、重要なポイントは2点あり、1点は後藤先生が指摘された事故の抑止の観点。これは責任制度を廃止・縮小したとしても、補償基金の運営主体は原因者に求償することによって補うということも考えられますが、問題はその運営主体にそこまでの専門性や業務負担を求めるのは難しいということが容易に想像されます。もう1点は、髙橋先生からお話がありましたように、なぜ自動運転車に限ってこのような基金制度を設けるのか、ということの説明がやはり必要となってくることです。単に責任追及に困難があるからということではなく、そうした事案が無数にあり、特にAIということを考えると、AIを利用した技術では証明困難というのは定型的に想定されるというだけに、決して自明の問題ではなく、難しいところがあると思っています。以上です。
小塚主査: ありがとうございました。それでは佐藤先生、お願いいたします。
佐藤構成員: 後藤先生、プレゼンありがとうございました。私からは3、4点ございます。まず、そもそも制度検討の前提をどのように考えるかということも、今後検討していく上では重要になると思っております。国交省の研究会の議論では、自動運転車が徐々に入ってきた過渡期を前提に議論されていました。現状を見てみても、必ずしも自動運転車ばかり走っているわけではなく、況や全ての自動車が自動運転車になるのは相当先であるため、それまでの間、旧来の運行供用者責任を中心とした制度と、更にそれに加えて新しい制度を併存させる必要がどこまであるのか、というところは念頭に置いて議論すべきではないかと思っておりました。
後藤先生からは3つの考え方をお示しいただいていました。①のメーカーの責任という観点ですが、今の制度設計の前提として、迅速な被害者救済という点に非常に重きが置かれていると理解しております。①の制度の中で、どのようにそれを実現するのかは非常に難しい問題だと思っております。現状の自動車メーカーの中にも、製造物責任保険を必ず付保していないメーカーがいらっしゃると理解しており、徹底的に争ってくることも想定されます。そうだとすると、必ずしも立証責任等を転換したとしても、迅速な被害者救済が実現できない可能性があるのではないかということが懸念としてあるかと思います。
②については、これも研究会で議論されていた内容ですが、どのように公平に保険料を集めていくのかというところは、メーカー拠出を念頭に置くと、メーカーによっても安全性や事故率はまちまちであると思われるため、そういった中でどのように公平に保険料を集めていくのか、ないしは海外メーカー等も含めて確実に集められるのか等が問題になるのではないかということは、国交省の研究会の議論でも指摘されていたと思っております。
③の従来のアプローチを維持し続けるのがよいのかというところについては、そもそも運行供用者責任でよいのか、すなわちご指摘があったように、運行供用者に運行支配があるのかということは、研究会の報告書においても議論され、一応運行支配があるという整理ができるのではないかとされています。例えば、今念頭に置いているレベル4の無人自動運転サービス等では、濃淡はあると思いますが、サービス提供主体は運行を支配しているという一定の整理ができているのではないかと考えております。また、③の従来のアプローチにおいて問題点として挙げられていた、運行供用者からメーカー等への求償の実効性確保という点については、①にあるような形で、PL責任についての制度をどのようにしていくかを議論し、実効性を確保していくことにより、ある程度カバーできるのではないかと思います。すなわち、③のとおり、運行供用者責任自体は維持しながら、他方で、PL責任のところで一定の修正を加えることにより、問題点を克服していけばよいのではないかと考えております。以上です。
小塚主査: 次に、落合先生と波多野様に挙手いただいています。時間も押してきましたため、お二人にご発言いただいたところで一旦区切りとしたいと思います。落合先生、よろしくお願いいたします。
落合構成員: 私の方からも、何点か気づいた点を申し上げます。後藤先生に本日ご発表いただいた中で、前提の整理が重要ではないかという点について、改めて多くご指摘いただいたと思っております。これは法制度を考えていくにあたっても、また科学的妥当性を考えるにあたっても、結果的にはどういう前提を置いていて何を要求しているのかということは、様々な議論や立論の前提になってまいります。この点の整理をしながら、具体的な民事の法制度についても議論される必要があるということは、非常に重要な点であると改めて思います。その観点で、後藤先生のご発言も踏まえて思った内容の1点目として、今回の自動走行車は、単体で自動走行をしているわけではないところだと思います。稲谷先生がおっしゃったコネクテッドカーのようなものもあるかと思いますが、運行にあたってのデータは、道路側や信号機といったインフラとの連携によって動いているものとなると考えます。そういった制御にあたってのその他のインフラ側の主体が何を担っていて、自動走行車が何をするべきなのか。それは裏返すと、前提の議論とも同じだと思いますが、そこにおける責任論がどうであるかが整理されていないと、自動運転車を走行させるにしても、メーカー側は何を準備すればよいのかが実際には決まっておらず、決まっていないということは全部準備するということも一つの選択肢にならざるを得なくなってしまうと思います。そういった意味では、インフラとの関係での責任分担を議論していくことは重要ではないかと思っております。
2点目として、事前規制の整備のあり方について、数値化という点のご指摘もあったと思っております。実際に法的規範をそのまま数字に書き換えるということは、不可能な場合がかなり多いと思います。もっとも、性能要件で何が何メートルなどと書かれているようものはそのまま書けることもあり得ると思いますが、基本的には機械的な処理を行うにあたっては、システム側も数値で入力された要求事項があり、それを遵守していくことに恐らくなるのではないかと考えます。そのように法令が数値で評価した場合に、どのようなことを要求しているのかについての考え方を整理すること自体は、自動走行に関わる社会制度として、基本的な事項になりうるのではないかとも思っております。そういった意味で、自動車の車両に、認可基準等で性能を要求する場合であったり、インフラの整備や運行に係るルールもそうですが、できるところとできないところ、もしくは広くなったり狭くなったりすることもあり得ますが、可能な範囲でどういう形でデジタル処理を行う場合に、どういう対応を求めていくのかという点を整理することは重要ではないかと考えております。
3点目としては、後藤先生に整理いただいたいくつか選択肢がありますが、まず後藤先生にて藤田先生の事前的・一般的アプローチと、さらにその中で機械と人ができることの相違点をご指摘されていたと思います。そこの責任論の関係がどうなのかという点もあったかと思います。それについて、自動運転車の誤作動や、機能の不発揮の対応について分析を深められていた点については非常に意義があると思いますし、この点を解決していくというのが、検討していってガイドラインを整備する中で非常に重要な視点になってくるだろうと思っています。
その点に加え、3つのご提案をいただいていましたが、提案③については現行取られている制度・選択肢であり、ただ一方で髙橋先生も仰っていたような乗車者にとっての実際の不自然さというのもあると思います。法的・規範的には、運行支配をしていると読めなくはないことかもしれませんが、ここは若干自動走行も外れる部分がありますが、その他のAIを使った場合の責任構成要素を考えていく時に、あまり無理をして拡張してしまった概念を、特にAIに対する法制度の中でも重要な自動走行の中で正面から認めてしまうと、他の部分にも悪影響があるのではないかという懸念があります。その意味で、③の議論が修正されるべきではないかと思います。②については、保険による法的な救済制度でどこまで補償できるのかという点もさることながら、内部的な、諸外国に向けた性能補償の活動をどう後押しできるものになっていくかという点について、少し検討が必要なのではないかと思います。
そうすると案①でご提案いただいたものがよろしいと思いますが、一方で運行供用者責任を過失責任にするということだけでなく、製造物責任の議論も別途ある中で、ただ本日ご議論にあった中での被害補償の実質化や、財源確保のあり方をそれぞれ考えて組み合わせをできるようにしていくことが重要でないかと思っております。
小塚主査: ありがとうございました。それでは、前提というようなお話も出ましたところで、波多野様からご発言いただけますでしょうか。それで締めたいと思います。
波多野構成員: ご指名ありがとうございます。日本自動車工業会の波多野でございます。後藤先生がお示しいただいたいくつかの考え方ということで、想定問答としては理解できる一方で、少し確認させていただきたいのは、この論点がそもそも迅速な被害者救済のための無過失においても損害賠償責任を有する、いわゆる運行供用者というものの議論なのか、それとも製造物の瑕疵担保の責任を明確化するための過失の証明の議論なのか、どちらの論点に主に話されているのかが少しクリアになっていない印象がありました。前者であるならば、既にレベル3の自動運転は社会に実装されており、道路交通法上は、あくまでも運転手が自動走行装置を使用するという整理の下、民事上はこのドライバーが引き続き運行供用者であるという整理をいただいていると思います。2023年の道交法改正・施行によりまして、レベル4はドライバーが不在ではあるものの、特定自動運行実施者がドライバーに代替して道路交通法遵守の施策を打った上で運行すると定められたと考えますと、この特定自動運行実施者が、運転者ではないものの、それに代替する存在であると理解することが可能です。そうなりますと、運行の支配及び利益は、引き続き特定自動運行実施者が運転者に代替して担っているということを考えますと、運行供用者という考え方が、自動運転のレベルが変わったとしても、大きく変化するようには見受けられないということです。この点を前提としますと、本来運行供用者とは全く定められていない製造側がこの議論に加わっていくというストーリーは、若干違和感があると感じます。
一方、過失の証明という、製造物の欠陥や不具合を証明するという観点で申し上げますと、2020年の法改正でレベル3に課せられた、自動運転中の作動はデータを記録することが加えて求められており、このデータをオーナー・ユーザーが開示を求めることは実際には何ら難しさが無い状況になっています。これがレベル4になっても同様の取扱いとなることを想定すると、従来の製品と自動運転が圧倒的な差をもって、過失もしくは欠陥の究明に大きな違いがあると捉えることについて、実際にはそこまでの差が無いのではないかと思います。むしろ自動運転の方が、法的にデータを記録しオーナーに対して提供するという仕組みが担保されていることを考えると、自動運転側の方が逆に原因究明に対して進んでいると整理することも可能かと思います。よって、やはり民事的には欠陥・過失の議論と、運行支配、利益を受けている運行供用者という話の関係性を今一度整理していただいた上で、製造者に対して何が必要かということを議論いただくのがよいと感じたため、コメントさせていただきました。以上です。
小塚主査: ありがとうございました。学会の議論であれば報告者の後藤先生に回すところですが、サブワーキンググループとしては次の議題もあるため先に進みます。また同時に、本日で民事責任の議論が終わるわけではなく、むしろこれからも議論を続けていきますので、私の方で感じたこと、重要だと思った論点のみまとめさせていただき、先へ進みます。
基本的には、後藤先生が言われた民事責任の機能の中で、1番目、つまり責任制度があることにより誰にどのような行動を変えていただくか、行動変容が大きいのだと思います。基本的には事故が起こった場合には、過失責任であろうと結果責任であろうと、それを防ぐため最終的にはメーカーに改善・対応をお願いしたい、というインセンティブが強く働く制度の方が望ましく、同時に、これまでの自動車では運行供用者がたとえハンドルを握っている人でないとしても、何らかの意味で事故を減らすような関与の仕方ができる人で、その人に行動変容をしてもらうことが望ましかったと思います。これが今後どうなっていくかということで、後藤先生がおっしゃったサービスの提供、自動タクシー等の場合に、運行供用者と同じようなことが言えるとしても、全くのオーナーカーがレベル5であるような場合に、所有しているというだけで乗っている人自身もどうしてよいか分からないうちに事故になるという時に、そこに責任を置くことに意味があるのかという問題が一方ではありそうです。他方では、被害者の救済との関係で、やはり日本の今までの事故制度というのは単なる民事責任ではなく、保険会社が非常に大きな役割を果たすことで、そこに被害者救済のノウハウも技術も蓄積されてきました。そのことを今後どうしていくのかという論点がありうるということだと思います。更に大きなことを言えば、製造物責任的な考え方、あるいは運行供用者的な考え方、あるいは基金的な考え方の中で、それを選択することで、実は自動運転車になった時に自家用車、オーナーカーを購入しようというインセンティブが減ってしまう、というような行動変容も実は起こり得る、あるいは起こる可能性があることも考えながら、社会全体にとってどの制度、どの選択が望ましいかという問題かと思います。波多野構成員の問題提起に引き付けていえば、どういう前提で議論するかというよりも、むしろこれらの制度がどう前提を作り、変えていくのか、という大きな問題提起を後藤先生からいただいたと伺いました。
まだまだ議論したいところではございますが、本日この後刑事法についても議論したいと思いますので、一旦ここで止めさせていただきます。
議事2-(3)ですが、「過失犯に関する判例の概要-自動車事故事案を中心にして」という内容で今井先生にご用意いただいております。では今井先生、よろしくお願いいたします。
今井構成員:
(以下「資料5:過失犯に関する判例の概要-自動車事故事案を中心にして」に基づきご説明)
よろしくお願いいたします。Word形式で皆様と共有し、ご説明させていただきます。私に割り当てられたタスクとしましては、学説の話ではなく、現在裁判所で過失犯についてどのような判断が示されているか、そのオーバービューをということでしたので、今回のメモを作成いたしました。
第一に、伝統的な自動車、つまり自動運転車でない自動車の事故との関係で、どのような条文が過失犯として問題となるかというと、大きく分けるとここに書いた二つがございます。自動運転致死傷行為処罰法の第5条、過失運転致死傷罪というものが新聞にもよく出てきますが、この条文と、従来からの刑法第211条の業務上過失致傷罪であります。過失運転致死傷罪の方は、主体が限定されていると解釈できまして、自動車の運転上必要な注意を怠りと書いてありますから、その主体は、自動車の運転者ではないかという理解が自然なところでありますが、ここは先程波多野構成員がご指摘されたような問題があります。特定自動運行実施者というものが運転者に代替するのか否かという点を波多野構成員がご指摘され、これは大変重要な点でございますが、残念ながら刑法学会ではまだこの点の関心が薄く、誰が運転者なのか分からないという点があります。また逆に、波多野様のようなご意見をとっていくと、ドライバーレスドライビングと言っていること自体が虚偽の表示ではないかということになり、SAEの基準自体がおかしいのではないか、というのが恐らく今後の世界的な潮流でありますが、ここでの議論の範囲を超えるため、本日は取り上げません。そうすると例えば、今現在のメーカーの方々が特に心配されるのは、過失運転致死傷罪が適用されなくても、刑法211条の業務上過失致死傷罪が適用されるのではないか、ということであろうと思います。そこで、この犯罪の成立については、直下の箇条書き2点目にある、「必要な注意を怠り」というところがいわゆる過失を意味する文言ですが、その次に「よって」、これは因果関係があって、「人が死傷する」という違法な結果が発生したという場合に、過失犯の成否が争われることになるということです。その更に前提として、犯罪の成立要件として一般に日本で言われていることは、構成要件に該当する行為があり、それが違法であって有責である、という3段階に分けて議論することになっています。ここに、特に法学部以外の先生方は構成要件とは何かとご疑問があろうかと思いますが、これは無色であるとともに、一定の意味があるものです。無色であるというのは、構成要件とは、ドイツ語のタートベシュタント(Tatbestand)の訳語であり、行為を構成するものと言っているに過ぎず、ほとんど無色の概念です。民事法でも使われることがありますが、刑事法では、一応、処罰範囲の外枠を決めるために構成要件該当性の有無を確認することになっています。大切な点は、次の違法性という法益侵害またはその危険性と、それについてどのような心理状態であったかという有責性のところです。これを前提に話を進めさせていただきます。次のページをお願いします。
2番目の過失の意義です。判例は後でまた申しますが、個別の具体的な事案において判断を示すものでしかなく、かつ、その点に意義であるため、判例が一定の立場を過失犯に対して示しているかというと、そうではないと思います。判例の傾向を大まかに言うことはできますが、具体的に何説に依拠しているかを判断することは困難です。しかし、どういう観点で理解が分かれうるかについては、説明を試みます。後藤先生のお話しに通じる点がありまして、まず共有されている基本的視点について述べます。刑事法が何のためにあるかというと、ここには記載しておりませんが、歴史的には逆なのですが、不法行為制度のバックアップ機能を果たすべきものだと言えます。刑法は人に対して一定の立ち居振る舞いを教えるものではなく、法益を保護するために存在するものです。私は座長や後藤先生と同じように考えておりまして、法益侵害を抑止するために何が必要かという観点から刑事法制度を検討しています。その際に重視しているのは、自分の行動によって近い将来法益が侵害されるか、侵害される危険があると思った時には、この行動を取るのをやめようという別様な動機づけが求められること、別様な動機付けができるにもかかわらずしなかったという場合には、故意での行為という評価を受けるということです。逆に、後から気づくとあそこでブレーキを踏んでおけば人にぶつからなかった、人が死ななかったであろうと後悔しているが、行為当時はその将来の法益侵害が予見できなかった場合、自分としては予見できなかったが、事後的に裁判所の見地からすると予見が出来たと認められる場合には、あなたがもう少し注意していれば、予見し、予見したことを動機づけに使って別様の行動選択ができたと評価できるので、故意より一段低いのですが、責任があったと評価されます。これが、過失という責任要素が認められる場合の説明です。次のページをお願いします。
今述べた考えは、いわゆる旧過失論という考え方です。つまり、故意犯であろうと、過失犯であろうと、例えば時速40キロで自動車が走行して歩行者にぶつかり死亡させてしまった時には、それが故意であったか、不注意であったかに関係なく、特定の日時、場所で、特定の態様で人が亡くなったという事実には変わりがないので、故意か過失かは違法性とは無関係で、責任の問題に過ぎない、という立場です。これが、旧過失論という理解です。この他に、刑法学では新過失論というものがあり、簡単に言えば敢えてブレーキを踏まないで、しかし法定速度40キロで人にぶつかった場合と、不注意にもブレーキを踏まないで40キロで走行し人にぶつかった場合では、悪さの加減が異なり、人の気持ちが違法性という評価に意味を持つという考えをとるものです。その考えによると、道路交通法に違反し、法定速度に違反した運転をすると、それだけで違法性が肯定されると説明されることになります。初めて聞いた人には分かりにくい説明かと思います。更にその後昭和40、50年代、高度成長期の頃に公害事件が起きてきた際、次の新新過失論、危惧感説というものが出てきます。これは古い話ではなく新しい話でもあります。皆様ご案内のように今も食品衛生法違反の問題が争われています。少し怖いかもしれないが、皆も使っているからと思い使ってしまっていたら、腎機能障害が生じてしまった等の話が起きた時に、どこを捉えて過失ありとするかというと、他の業者より安く、大量に仕入れさせてくれる業者があり、そこから仕入れて大丈夫かとの不安がよぎったが、早く物が作れて安く売れれば利益があがると思って売っていた人に対しては、未知の危険に対して不注意が過ぎており、将来起こるかもしれない漠然とした危険が頭をよぎったならば、それに対処すべきだったのでないかとして、過失を認める見解が、新新過失論ないし危惧感説と呼ばれるものです。この理解は、森永ヒ素ミルク事件で、徳島地裁が採用したのですが、他の裁判例は、この理解に従っていません。ここまで踏み込んで広く過失を認めることは、慎重な判断が要請される刑事裁判では、拒絶されているというのが実態かと思います。詳しく言うと、最近の学説には新新過失論を再評価する向きもありますが、その話は本日の検討課題とは異なるため省略します。現在多くの説は、下に記載のある修正旧過失論というもので、要するに結果発生の具体的予見可能性を、ケースバイケースで慎重に詰めよう、故意に準ずるような形でしか過失を認定できないということを再認識させる説が昭和50年代後半から出てきていて、現在に至るまで通説だと思います。次のページをお願いします。
留意点については、どの学説においても大事なことは、例えば自動車事故に関しますと、ブレーキの踏み遅れで人にぶつかって人が死んでしまった、人の生命という法益が侵害されたという違法の結果が出ていることを前提にし、その結果についてはブレーキ操作が遅れたという不作為と因果関係があったかを認定し、因果関係まであった時に、それを予見できたかどうかを判断し、予見できたのであれば、あと少し早くブレーキを踏むべきだったのではないかといったように、まず予見可能性を考え、予見可能な結果については予見すべき義務があり、さらに当該結果を回避する可能性がある限り、結果回避義務も課せられるということになります。いずれかの義務違反、すなわち、予見義務違反か結果回避義務違反がある時には、過失が肯定されるという形になっています。繰り返しますが、結果から遡り、違法性を確認し、因果関係を決めて、最後は人の気持ちを判断する、というステップで考えていただければ理解いただけるではないかと思います。
では判例はどのようなことを考えているかです。総説については今申し上げた留意点とほぼ同じであるため省略しますが、少し補充いたしますと、最初に申し上げましたが、裁判例におきましては、過失の有無というのはあくまで個別具体的な事案における判断に過ぎません。一般的な判断基準を明確に定めて判断が示されているわけではありません。そうしますと、判例の集大成が法律であることが望ましいことになろうかと思いますが、現時点で法律の中に、判例の最大公約数としての過失の定義を書き込むことは、かなり難しいと思います。このことは、英米法のように、ケースローからネグリジェンスの概念を決めるところでも、今なお議論があります。また、波多野構成員が言われたCCD(Competent and Careful Driver)基準という概念についても、非常に解釈に幅があり、決まったものではありません。過失の議論もそれに似ているものだと思います。以下私がお話しすることは統一性を欠きますが、判例はこうなっているというご紹介になります。次のページをお願いします。
判例の思考過程を改めて要約しておきますと、人に車がぶつかって怪我をしたり死亡したりという結果が生じたか、そしてその結果を回避できたのだろうか、ここは今回あまり話していませんが、例えば法定速度で走っていて、自殺を希望する被害者が飛び出してきて轢いてしまったという時には、直前にブレーキをかけても間に合いません。こういった場合は結果回避可能性がないため、そもそも刑法の議論に乗せるべきではなく、理論としては因果関係を否定するか、過失を否定することになりますが、現在の学説では、因果関係を否定する方が多いです。ただし、判例はそこを明確にしていないため、本日は、結果回避可能性については因果関係と過失との関係でお話をします。因果関係が肯定されますと、客観的には自分のブレーキ制動が遅れたという不作為と結果との間に因果関係があるため、犯罪の客観的側面は全部満たしていることになります。あとは犯罪の主観的側面であり、それが故意でなければ故意未満の過失ということになります。ではその際に過失とは何かというと、結果が予見できたか、できたならば結果を予見してください、予見までしていたら、では早くブレーキを作動させるというような結果回避行動ができましたか、できたならばやるべきであったのではないか、というステップを使って、最終的に過失が認定されるということになっています。その際、後ほど判例2番にて申しますが、結果発生の具体的予見可能性における具体性の意味ですが、学説においても、具体性の意味を明確にしているわけではありません。それは、刑事裁判例で出てくる証拠に基づき判断していくため、事故後、例えば警察の捜査によって挙がってくる証拠には限界がありますので、明らかにできる範囲には限界があります。その中でできる限り具体的に結果の予見があった以上は、過失犯として罪責を問うてもいいだろうということで、判例も検察実務も、予見可能性の具体化には努めておられるところだと思いますが、後で見る判例2のように、かなりざっくりとした、初めて見る方にはこれでよいのですか、と思うような判例もあるということです。次のページをお願いします。
それから、信頼の原則という言葉です。理系の方々も法律家と話していると聞かれるかもしれませんが、特に刑法学上は良く耳にする言葉です。ドイツ刑法から輸入してきたもので、昭和40年代には日本で広まったものの、現在では下火になりつつある概念ないし発想です。信頼の原則は、例えば法定速度を守り、信号も守り運転していた時に、後で挙げる判例のように、他の交通関与者が無謀に運転してきて信号を無視する、あるいは右折の方法を守らなかった等により、いわば自分がもらい事故のような形になり被害者が死んでしまった時に、自分として振舞うべき行動は全部行っていて、相手が変なことをするとは思ってもみなかったという時に、それを処罰するのは可哀想だろうということで信頼の原則が出てきて、それが適用される場合には過失が否定されるという話です。他の交通関与者の行動を信頼していた場合には、過失のどの要件が落ちるかというと、結果発生の具体的予見可能性が否定されるとする判例、結果回避可能性を否定しているように見える判例、どちらか分からないが恐らく両方を否定していると思われる判例の三つがあります。本日挙げている判例の中にもありますが、比較的多くの事案では、具体的予見可能性が信頼の原則によって否定される際に、あわせて、結果回避可能性を問うまでもないとしているものがあります。注意すべきことは、「何々の原則」というのは外来性の議論であるため、それが一般的、抽象的に通用するはずはなく、事案を見る時には具体的予見可能性があったかどうかを検討するしかないということです。この点を、もう一度強調いたします。
判例を見ていきたいと思いますが、予見可能性についての北大電気メス事件があります。これはまだ新人の医者が、ベテランの婦長や看護師たちと電気メスを使って治療をしていたところ、電気メスのプラスとマイナスを逆につけてしまったために、患者の足に大やけどができて、足を切断せざるを得なくなったという事件です。この時に婦長はベテランの方だったため、業務上過失致傷罪が認められましたが、新米の医者は婦長の命令に従っていただけで、重傷が生じるとは予想していなかったとされ、過失が否定されたというものです。結論においては、かなり批判のあるものではあります。ただ、この時には、医師であったとしても、まだ経験不足の方は具体的にどこまでチェックすればプラスマイナスの付け替えを防ぎ得たのかが分からないだろうということで、結果発生についての具体的予見可能性が無かった事例として、今でも先例的価値があり、要はここで判例が危惧感説を取っていないことが見られるわけであります。
次に2番の判例ですが、これは少し異なり、被告人がトラックを運転していて、同乗者がおり、どうも今日はアクセルを踏んでも重く進まないと思って走っていたところ、被告人も暴走していたために、対向車との接触を避けるためハンドルを左に切り電柱にぶつかってしまいました。同乗者も怪我をしたのですが、突然荷台から人が転がり落ちて死んでしまったという事件です。被告人は、まさか自分の車の後ろに2人が別に乗っているなどとは思ってもいなかったので、自分にとっても、いわば、もらい事故であり責任はないと主張したのですが、最高裁はそれを認めませんでした。これはかなりおかしな判断で、学説では批判されています。もっと注意すればバックミラーで後ろに人が乗っていたことが分かったのではないか、分かり得たのではないかということ詰めていくと、その人が見えていたかどうかではなく、無謀な運転をすると、もしかすると飛び乗っているかもしれない人に対して怪我をさせてしまいかねないことにも注意すべきであるとして処罰することも可能になります。この論理は流石に酷いのですが、誰かを殺そうと思って行為をした以上、自分の目に見えていなかった人を殺してしまったとしても、故意があるのだとする抽象的法定符合説を取ると、過失も広がってしまうことを示した判例です。
3番の判例については、補充的に申しますと、検察官が起訴した事例ではないという特徴があります。検審バックがかかり、検察審査会の起訴議決に基づいて起訴された事案であるため、検察官の見立てとしては、元々過失の立証は無理だと思われていた事案だと言えますが、最高裁もその考えを認めています。大変悲惨な事故であるため、結果が刑法の適用以外の方法で解消されることを強く願うところでありますが、刑法研究者の視点から見ても、こうなるのだろうと思います。多くの箇所でATSの設置が必要かもしれないが、具体的にいつどこであのような事故が起きるのかは分かりません。JR西日本の本社ビルの中にいる経営陣に、事故が起きそうなところが予見できるかかというと、できないわけであります。具体的予見可能性ということでいくならば、この場合に過失で処罰するのは無理だということを最高裁も認めたものだと思います。
4番の判例にまいります。ここからは、比較的結果回避可能性にも言及している裁判例として挙げておりますが、注意していただきたいのは、例えば④・⑥の判例等も、結果回避可能性を先に問題にし、これを否定しているということは、記載しておりませんが、言及させていただきます。4番の事例は少し古く、昭和42年の大阪高裁であり、これは広く言うと信頼の原則に近い発想でありますが、ありとあらゆる事故の可能性を消した上でなければ運転してはいけないというものではなく、その道その道において、どんな事故があり得るかということを予想してそれに対処しておけば、刑法上は過失を否定してよいのだというものです。恐らく常識的にもこうした判断になるべきだろうと思います。
5番以降では、いろいろな事故タイプの事例を挙げておりますが、5番の場合は、被告人が車に乗っていて右折しようとした時に、被害者車両が右後ろから高速で走ってきました。こんな人は普通いないだろうということであり、この判旨の3行目の後半に書いてあるとおり、特別の事情が無い限り、右側方からくる他の車両が交通法規を守り、自車との衝突を回避するため適切な行動に出ることを信頼して運転すれば足りるのであって、と判示されています。これは、昭和41年に最高裁が信頼の原則を事実上認めたものとして、今でも先例的価値があるものです。この判旨を読み上げたところは、結果の予見可能性を否定しているわけですが、最初に申しましたように、裁判所はより確実な判断とするために、この事例もそうですが、結果回避可能性もなかったということも判示しているため、そういったものとしてこれら両方を読んでいただきたく思います。
6番も昭和42年の判例です。この頃には日本にモータリゼーションが起き、一億総国民前科者になることを避けるために、例えば交通反則金制度ができるとともに、刑法解釈論でもこういった信頼の原則が入って過失を否定していきました。今回も似たような話であります。今度はオートバイの話ですが、いわゆる二段階右折をせず右折をかけようとしていたら、被害者車両が右後ろから走ってきて事故となってしまったものです。被告人は、この判旨の尚書きで書いてあるように、当時の道路交通法に違反はしておりますが、道交法違反が即、刑法上の過失を肯定するものではないといった点にも意味があります。ここまでくると、最高裁は新過失論を取っていない可能性が強いです。新過失論という形ですと、道路交通法に違反していると、よくない振る舞いをしているものであるため、刑法上の過失責任を否定しづらいという判断に向きやすいのですが、最高裁はそれをとっていないということです。
信頼の原則について中間的なまとめが次に書いてありますが、先程申し上げたとおりです。その場その場、いろいろな道路条件、同じ道路でも天候や日時によってスリップ状況等が様々異なります。その場その場の具体的な道路状況において、結果をどの程度予見し得たか、その時に他の車両が飛ばすことがないだろうと思っていたならば、それ以上の注意をしなくてよいというのが信頼の原則です。これが自動運転車にどう影響するかということを最後に少し書いてありますが、自動運転車のADSというのは恐らく杓子定規に行動します。法定速度でセッティングされていると、交通の流れに乗って走るというような賢いことはできないため、自分は法定速度で走っており、そうすると煽られて突っ込まれる、あるいは流れに乗ろうと思って加速すると、瞬間的にパトカーに捕まるということがありうるわけです。6番の判例を踏まえると、法定速度とは異なる実勢速度で走っている車の運転者にも信頼の原則が適用されると思われますが、自動運転にそれが使われるのかということが大きな問題として残っており、この問題を解消するには、ODDの設定領域を物理的にも区切り、その中で自動運転車だけを走行させることによって、自動運転車と信頼の原則という難問の発生を避けた方がよいのではないかと個人的には思っておりますが、これは今後のここでのご議論かと思います。
7番以降は、平成になると事案が詳細になってきますため、皆様にてお読みいただければと思います。7番は直前になって被害車両を見つけた事案であるため、結果回避可能性を否定しやすい事例です。弁護人が争えば因果関係も否定できたのではないかと思いますが、過失を否定したものです。
8番はタクシー運転手が、進行前方は黄色点滅信号で、左からの交差道路では赤色信号であり、赤色信号を無視して70キロで酒気帯びで突っ込んできた車にぶつかり、タクシーの乗客が死んでしまったという事件です。最高裁は、タクシー運転手としては、交差道路で赤色信号が点灯しているのに、これを無視して無謀に突っ込んでくる人がいるとは思わなくてよいといったことであります。これも予見可能性を否定するがために、いわゆる信頼の原則的な発想を使っているものだと思います。ただし、併せて、回避可能性にも言及があるということで紹介しています。
9番は、自分の進行方向にある信号が青信号から黄色になり、被告人は、赤になる前に右折を始めました。そうしたところ、対向車両の方では時差式信号でまだ青であったため対向車両が突っ込んできたのですが、そうとは知らず被告人が右折を開始したところ、対向車両とぶつかり、相手が亡くなったという事例です。この時には、最高裁も自分の対面信号が赤になったからといって、先方が赤になると思うのは軽率である、信頼してはいけないということで過失を認めたものです。
最後に、従来の過失犯の事例から、今後ここで検討すべき課題と思われる点を指摘します。結果の予見可能性との関係では、どのような物理的状況でどんな車種が走っているか、つまり自動運転車だけなのか、伝統的車両なのか、それともスピード違反や交通法規違反が常態化しているようなところか、という事情を踏まえて結果の予見可能性の内容が異なってくる点を踏まえた検討が必要です。最初に申したように、予見可能性の判断基準は刑法学ではまだ示されておりません。しかしながら、ケースバイケースの判断においては、そういった道路状況の設定が大事です。結果の回避可能性の方がもう少し切りやすく、直前に人が飛び出てきたり、直前に例えば他の自動運行車両がADSの不備によって飛び出してきたりした時にはもう間に合わないため、結果の回避可能性がなくなって因果関係がなくなるか、過失の要素がなくなり無罪になるということになろうと思います。また、本日のお題ではありませんが、最初に申しましたように、また波多野構成員がおっしゃったように、特定自動運行実施者が運転者であるのかという点を、慎重に議論すべき問題だと思います。以上です。
小塚主査: 今井先生、大変丁寧なご説明をありがとうございました。少し時間が押しているため、以下のように進行したいと思います。15時頃までこの議論をさせていただき、その後、髙橋先生からご提出いただいている資料があるため、15分程度延長することをお許しいただきたく思います。
ご意見をご自由にと申し上げたいところですが、私が気になったことがあり、まずそれを申し上げたいと思います。このサブワーキンググループにて既に何度か、自工会、直接的には波多野構成員から、責任に関する考え方をグラフの四象限のように出していただいた図がございました。前回第3回のサブワーキンググループの終わりにかけて、何人かの委員の方から具体的な当てはめとしてどうなのか、というようなご指摘もいただいており気になっておりました。主査として今井先生の資料も事前に拝見しておりましたため、それを踏まえると少し修正してもよいのではないかと思い、事務局に依頼し画を書いていただいたのが今投影いただいている右側です。まず、少なくとも刑事責任を考える場合、過失は、ある程度類型化することはあるにせよ、具体的な予見可能性で、抽象的な危惧感ではならないということのようですので、合理的な予見というのは法律用語にはなく、そうでない方がよいのではないかと思います。具体的な予見可能性があるか無いかということを端的に考えればよいのではないかということです。具体的な予見というところで今の判例以上のことを要求する趣旨ではありません。そしてこの具体的な予見可能性がないと、それだけで過失がない、あるいは結果回避可能性に効いてくるのかもしれませんが、いずれにせよ刑事責任は成立せず、よって、具体的な予見可能性の有無を分ける横線の下の部分は、刑事責任は不成立と考えてよいのではないかということです。そうすると、同横線の上の部分を考え、かつ回避可能性と、回避不可能な場合、これは自工会でもお示しになっていたとおりであり、回避可能な部分については自動運転車であろうと万が一事故が発生した場合には、刑事責任が成立する余地はあろうと思います。誰の刑事責任かという問題はあるかもしれませんが、具体的な予見可能性を持っていた主体は、刑事責任を負うという可能性はあるのだろうと思います。回避不能な場合には結果回避可能性がないわけであり、過失の要素か因果関係の要素かは別にして、刑事責任はここにも成立しないと思います。具体的な予見可能性がある以上は、刑事法に基づくインセンティブが上手く効かないところであるため、事故は起こってしまうかもしれないものの、できるだけ被害を軽減するような技術開発をしていただき、法の及ばないところをフォローしていただくという整理であると考えました。そして何よりも、この横線がどこにあるのだという具体的予見可能性の内容を詰めていくことが大事になってくると思いますが、私の考えでございますので、是非皆様から忌憚のないご意見をいただきたく思います。
挙手されている先生方にご発言いただきたいと思いますが、同時に波多野様からもご質問があるとのことですので、挙手をしておいていただけますでしょうか。それでは、髙橋先生、稲谷先生、藤田先生、波多野様、落合先生という順序でお願いいいたします。まず、髙橋先生お願いいたします。
髙橋構成員: ありがとうございます。最後の裁決、平成16年7月13日の時差式信号機の事件は、私も刑事弁護人の一人でした。一審は無罪になりましたが、二審、三審で負けて有罪となりました。今井先生に挙げていただいた最高裁の判例だけでなく、他にも最判平成12年12月20日の近鉄生駒トンネル火災事件、最判平成26年7月22日の明石大蔵海岸砂浜陥没事件、また私が担当した軽井沢スキーバス転落事件の一審の有罪判決、これら全てで、結果回避義務違反と予見可能性はリンクして判決が出されています。つまり、結果回避義務違反が著しければ、予見可能性は広く認めてできるだけ有罪にしようとし、結果回避義務違反があるけれども、違反の程度がわずかであるならば予見可能性は厳しくして、無罪にしようというバランスをとった考え方を採用しています。そうすると、先程座長が仰っていたように、刑事免責制度は設けないことを前提に、予見可能性がない場合、あるいは逆にある場合は、自動運転の場合どういった場合なのか、それを具体的に検討しようとすると、結局は結果回避義務を尽くしたかどうか、それがどの程度尽くしたか尽くさなかったか、そこに帰着すると思います。本検討会では、こういったことを検討すべきだと思います。プログラミングを作る時に、道交法に従った運行がきちんと確保されておらず、そして事故が発生した場合は、結果回避義務を尽くしていないと判断され、ひいては予見可能性があったとされて有罪とされると思います。問題は、その例外はないのかということです。つまり、道交法に従ったプログラミングを作ってはいなかった、その点では確かに結果回避義務を尽くしておらず非難されますが、ただそれでも自動運転の特殊性からすると、やはり予見可能性や結果回避可能性がないとされる場合があるのではないか、という点を検討する必要があると思います。全く逆に、プログラミング上、道交法に従った運行がきちんと確保されていたにもかかわらず事故が発生した場合には、これは原則として結果回避義務を尽くしていることにはなるのですが、それでも、事故を予見することが可能な場合、結果を回避することが可能な場合があるのではないか、という点を検討する必要があると思います。つまり、道交法に従ったプログラミングを一生懸命にきちんと作ったけれども、それでも事故が発生してしまった以上は、やはり自動運転車の特殊性からすれば、予見可能性・結果回避可能性があったとされる面もあるのではないかと、これは検討すべきだと思います。最高裁も、道交法イコール業務上や自動車運転上の注意義務違反とストレートには必ずしも捉えてはいませんから、こういった例外も検討する必要があるのではないかと思います。なお、後ほど、結果回避義務で一番道交法上問題になる点をお話したいと思います。以上です。
小塚主査: ありがとうございました。稲谷先生、お願いいたします。
稲谷構成員: 今井先生、大変ユーモラスかつ含蓄に富んだ素晴らしいご報告をありがとうございました。髙橋先生と理由が異なりますが、私も結果回避義務違反を中心に考えていった方がよいと思います。今井先生も、ご報告の中で恐らく機能的な観点から刑法を捉えていくという視点を出されていたと思っています。つまり、今回の問題設定との関係では、座長からも話がありましたが、自動車の製造者や、場合によっては事業者である運行供用者にどういった義務を果たしてもらうのが、リスクマネジメントを最適化するという観点から一番望ましいのかという問題意識に基づいて、どういう形で制裁を使っていくのが望ましいのかが議論の焦点なのだろうと思います。今回の今井先生の資料においても最後の方にその問題が提起されていると思いますが、定量的な安全性の確保について、一定のODDの中で一定の事故発生の確率をどのように考えるのかが問題とされておられまして、今井先生の方ではこの問題を刑法上の予見可能性との関係でどう考えるのかという形で、ご整理されていると理解しました。この予見可能性は、今井先生がおっしゃったように、判例・裁判例あるいは学説を見回してもかなりバリエーションが豊富でして、どういう場合に具体的な予見可能性があったといえるのかという線引きをするのが、相当難しいのではないかと思います。他面、結果発生確率を一定以上に下げるという意味での結果回避義務を観念すると、ここまで議論されてきた民事責任側の話、つまり安全性能基準を欠陥や障害と結びつける形で設計し、しかもその基準を時宜に応じてアップデートしていくという考え方と結び付けて議論しやすいところもあると思います。そういたしますと、どちらかというと、事故発生確率を一定以下に下げるという結果回避義務と紐づけて過失責任を考えていくというのがよいのではないかと思います。私が最初に申し上げた許された危険のような考え方もこのような発想に基づいているわけですが、いずれにしても予見可能性で一律に切ってしまうよりは、やはり結果回避義務違反を視野に入れて考える方がよいのではと思います。特にディープラーニングのようなものを入れると、予見可能性に関する判例のどれを重くとるかによって、具体的に予見できたのではないか、できなかったのではないかということが不安定になり、それ自体が問題ではないかとも思いますので、ソフトウェアが確率的に挙動する点も踏まえると、結果回避違反のところで定量的に基準を設定する仕組みも考えてみてもよいのではと思いました。
また、髙橋先生のコメントの中で道交法との関係にも言及されていましたが、自動運転と道交法、あるいは刑法をどういう形で実現するかについては、髙橋先生のご報告の後に別でコメントさせていただければと思います。
最後に、結果回避義務等を考える上でも、今の話や前の報告とも関係し、落合先生や私も言及しましたが、インフラとの関係をどうするかという点や、インフラとも密接に関係しますが、他のアクターの行動との関係をどうするかといった点は、やはりセットで考えなければならないと思います。それらの検討も踏まえ、特にパッシングをどうするのか等の残りの論点を上手く整理できるとよいと思います。以上です。
小塚主査: ありがとうございました。それでは藤田先生、お願いいたします。
藤田構成員: 今井先生、詳細なご報告をありがとうございました。髙橋先生、稲谷先生と結論的には似た発言となりますが、自動運転に関する刑事責任については結果回避可能性に重点を置くことになるだろうという話になります。刑事法は専門ではないため、専門家にとっては当たり前のこととなるかもしれませんが、若干の感想を申し上げたいと思います。過失運転致死傷罪との関係で、仮に過失の有無を結果回避可能性とその前提となる予見可能性で考えるという従来の自動車事故に関する枠組みをとるにしても、大きな枠組み自体は同じでも、通常の人間の走行の場合とどういう違い・特徴が出てくるのかということをよく考える必要があると思います。人間が運転する場合、走行中の車両の制御、とりわけ事故直前の行為が問題となるため、その時点での予見可能性、結果回避可能性を中心に判断することになります。これに対して自動運転装置のAIのプログラミングについては、設計時点でこれを判断するため、それを反映して予見可能性と結果回避可能性の内容や役割、位置づけが変わってきそうだということです。それが結果的に、髙橋先生・稲谷先生のご発言にあった結果回避可能性に重点を置くということに結びつく結果となっています。仮にAIの設計の際に問題となる予見可能性の対象となる事象が、プログラム設計の際に想定すべき自動運転中に生じる可能性のある様々な状況を意味するのであれば、その内容には色々なものが入ってきます。人間の運転の場合だと、人間の認知能力は非常に制約されているため、事故の直前に予見できる対象も制約された具体的なものになってきます。しかし設計段階では時間をかけて検討・想定できるため、予見可能性の対象となるシナリオは非常に広がります。その結果、仮に過失がないという理由で責任が否定される場合も、そのような事故シナリオについておよそ予見可能性がなかったとされる場合は非常に減り、結果回避可能性やそれ以外の要素を理由に責任が否定されることが増えるのではないかと思います。それをよく示しているのは、本日の四象限の図の中で挙がっている突然飛び出しの例です。この事例について100%は防止することができないシステムを開発・製造しても当然に刑事責任があると考える人はまずいないと思いますが、問題はその理由です。急な飛び出しがあった場合、人間の運転する車の場合は結果回避可能性が無いという説明も可能でしょうし、そもそもそのような飛び出しは予見できなかったという切り方もできるかもしれません。しかし、突然の飛び出しがあり得るということ自体はプログラミングの段階では状況としては容易に想定できるため、そのような自体が生じうることについて予見可能性がないという切り方はできなくなると思います。そうすると、責任が無いとする理由は、最終的にこのような飛び出しに対応するプログラムを作成することができないという意味での結果回避可能性がないということ、及び、たとえそういった飛び出しに対し対応できない自動運転車であっても、これを走らせても構わないという価値判断からだということになります。別の言い方をするなら、そういう飛び出しはないものとして設計することが許されるという、いわば「設計上の信頼の原則」から、責任がないとされるということになると思います。これは恐らく結果回避可能性の限界、範囲を画する概念としての信頼の原則といってもよいと思います。なお飛び出しに100%対応することはできないという点は、主に技術的な観点で比較的客観的に決まりますが、そういった自動運転車を走らせてよいか、プログラミングの際に対応しなくてよいのかということは、車社会において人々が取るべき行動がいかなるものであるべきかということを併せた総合判断であるため、高度に規範的な価値判断となります。これらはいずれも予見可能性とは全く異なる次元で議論されるべき問題ですし、自動運転車のプログラミングの際に問題になる過失は、ほとんどこちらの問題なのではないかと思っています。そういった意味で、髙橋先生・稲谷先生のご発言と非常に似た結論になります。
なお以上のように考える時に、今申し上げた、プログラム作成上の限界からくる結果回避可能性の限界と、一定の範囲でプログラムによって対応できない自動運転車の運行が許されるのはどういう範囲か、という2点を具体的に明らかにしていくことが、今後の作業として要求されることになっていくことでしょう。先ほど取り上げた、急に車の前に飛び出した場合のように、飛び出した人が悪いと簡単に言える場合は比較的簡単ですが、被害者も悪くないが、事前に事故を防ぐようなプログラムも作れないというような場合に、それを自動運転車に不可避な社会的なリスクとして許容してもらうことができるかという問題になると、ハードケースが出てきそうだと思います。この辺りは具体的な例を個別に挙げていきながら検討し、基本的な相場観を作っていくしかないと考えます。
最後に、髙橋先生のご報告を聞いた後にコメントすべきかもしれませんが、時間の関係で最後まで出席できるか分からないため申し上げますと、道交法上の順守義務を守ったプログラムでなくてはならないということ自体は私もそのとおりだと思います。しかし、これを過失や結果回避可能性、予見可能性と関連付けて議論するのか、それとは別次元のプログラミング上の制約条件と位置付け、それは当然守ることを前提に、それでカバーできないケースについて結果回避可能性をきちんと検証する形になるのか、どちらの整理もあり得ると思いますので、いずれでいくかを検討する必要があると思います。なお今「道交法を守る」と言った場合の道交法の規定は、たとえば70条の安全運転義務のような抽象的・一般的な義務でなく、より具体的・個別的な行為規範がはっきり示されているものに限定した議論です。そういった具体的な行為規範については、事故を発生させるおそれといったこととは別枠として、プログラム作成への制約条件としてする整理の是非も論点に加えていただければと思います。以上です。
小塚主査: ありがとうございました。プログラミング時点では具体的な事故の状況を予見できるはずはない、という辺りをどう考えるのかについては、今井先生に最後教えていただきたいと思いまして、特に本日お話しいただいた荷台に乗り込んでいた人の平成元年の最判等との関わりでどうなるのかということは、後ほどお聞きできればと思います。波多野構成員から危険運転致死傷罪に関するご質問があると承っております。また私が自工会の資料を修正することを申し上げたことに対してコメントがあればご発言いただけますでしょうか。お願いいたします。
波多野構成員: ご指名ありがとうございます。本日ご提示いただいた四象限の図ですが、意味合い的には若干変わっているものの、刑法上の責任を考慮する上では、改めて整理いただき、業界としても概ね賛同させていただける内容であると感じました。左側は、予見が可能な事故のケースということで、件数をイメージした縦軸になっています。修正いただいた資料は単純に分類であるため、数量は関係なく、恐らく四象限の図柄上は均等な面積の方がよりこの意味合いに近いという印象がありますが、より理解が進む内容に変えていただけたと思います。
一方で、第3回サブワーキンググループの自工会からのプレゼンテーションの中で、図の黄色い領域は、刑法で過失を問うということになると、そもそも自動運転は運転している最中に人が関与していないということで考えると、自動車運転処罰法上の過失運転致死傷罪や、危険運転致死傷罪が当てはまるのかというところは疑問であるということをお話ししていました。前回法務省から、過失運転致死傷罪には該当しないだろうというご説明があった一方で、危険運転致死傷罪についてはご言及がなかったため、機会がありましたら確認させていただきたいと思います。時間もないため、一旦以上とさせていただきます。
小塚主査: ありがとうございました。この四象限の図は手直しさせていただき、法務省刑事局から今のご質問について何かお答えいただけますでしょうか。
関刑事課長: 法務省刑事局刑事課長関と申します。今ご質問いただいた点ですが、危険運転致死傷罪の構成要件を見ますと、類型によりまして、運転をする、あるいは走行させるということが前提となっております。先程波多野構成員より、運転の支配の度合いについて、レベル4とレベル3との違いという内容もございましたため、ご質問の中のどういう状況で運転手がいないのかということは、ケースバイケースの証拠判断にならざるを得ず、確定的な回答を一律に申し上げるのは若干困難です。ただし、基本的には先般法務省からお答えしましたとおり、運転手がいない、走行させる者がいないといったことを前提に考えた場合には、そういった死傷事故の場合に、基本的に過失運転致死傷罪、あるいは危険運転致死傷罪は適用されず、業務上過失致死傷罪が問題になるということが一般的には言いうると思っております。以上でよろしいでしょうか。
波多野構成員: ありがとうございます。よく分かりました。
小塚主査: ありがとうございました。落合先生、時間を切って申し訳ありませんが、1、2分でまとめていただけますでしょうか。
落合構成員: 先程音声が切れた部分も少しお伝えした上でコメントさせていただきます。外国法人については、民法だけでなく行政法規、金融法規や電気通信事業法等で行われていると思われる、ライセンスの整備、海外事業者に対する法人登記、また場合によって法人制裁の整備ということも考慮した上で、行政法規等も含めて、外国法人も含めた法令対応に関するイコールフッティングを図ることが重要ではないかと思います。
今井先生のご発表の点について、各先生方からお話があったような結果回避義務の点に力点を置いていくことに私も賛成でございます。その議論をしていく中で、どういった役割をプログラムの中で求めていくのか。実際に人のできることとプログラムのできうることの違いもある中で、人は見えているがプログラムにおいてできないこともあり、そしてその上で、ただプログラムにおいて全体として人が実施しているよりも安全に運行ができるようになっていることについて、どう評価するのかは、恐らく議論する意義があるテーマになってくると思います。そういう視点を強調しながら、これまでの先生方のご意見に賛同させていただきます。以上です。
小塚主査: ありがとうございました。今井先生、先程私が申し上げた質問も含めて、補足していただけますでしょうか。
今井構成員: はい、短くコメントさせていただきます。まず座長がおっしゃっていた、自工会波多野構成員が出された図の整理については、私も座長のご指摘の方がよいのではないかと思っています。合理的な予見可能性と言った時に、合理的という言葉は英米法で特によく使われますが、実際には予見可能の解釈の中にリーズナブルという意味が入っているため、ここではシンプルにするために予見可能かどうかで区切った方がよいと思います。また、予見不可能、回避不可能な時に、刑事責任を問えないのは自明でありますから、このような表にされた方がよいかと思いますし、波多野構成員のご趣旨とも合致しているものだと思いますので、私もこの画に賛成でございます。
また、髙橋先生、稲谷先生、藤田先生から大変建設的なご意見をいただきました。今回のお題は判例がどうなっているかを説明することであったため、このように説明させていただきました。特に稲谷先生はよくご存じかと思いますが、私も個人的には結果の重大性と結果発生の確率との相関関係で、どの程度の予見可能性が必要となるのか、ということを考えており、このように結果回避可能性と予見可能性を連動させて理解する発想は、今後の検討課題にも通じるものだと思います。その方向性は藤田先生が非常に上手くまとめておられた発想に近いと思います。プログラムを作って何年後か先に事故が起きてしまった時に、設計した段階では、当該事故発生の予見は不可能であるという事実のレベルと、どの程度の被害がありうるかを想定してその回避措置を尽くしていたのかというレベルに分けて考えることが可能だと思います。そして私も、後者の視点に立ちつつ、そうした回避措置との関係で予見可能性を整理すべきだと考えております。このような理解からは、刑法上の過失は、民法不法行為の過失にかなり接近するものであるべきことになります。そこで最初に後藤先生がおっしゃったように、私も抑止のための刑罰利用という観点からは、統一的な理解ができると申し上げたところです。以上です。
小塚主査: ありがとうございました。だいぶ議論が整理されたと思います。それでは、構成員からの問題提起へ進みます。髙橋先生から資料をご説明いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
髙橋構成員:
(以下「資料6:自動運転といわゆる道交法38条1項問題」に基づきご説明)
はい、今までの議論でも話題にあがりましたが、結局結果回避義務をどう捉えるかというところに全てが集約されると考えます。結果回避義務で一番問題となるのが、マスコミにも伝えようと思うのですが、いわゆる38条1項問題です。この点は、きっちりと自工会の方にも認識していただきたいです。次のページをお願いします。
1項前段と後段があります。前段は、まだ横断歩行者が横断歩道を渡っておらず、これから渡ろうとする時の場面について規定しています。従って、歩行者はまだ横断歩道上におらず、歩道にいることになります。となると、横断歩道の端の歩道にいないことが明らかな場合を除いて、停止することができるような速度で進行しなければならないということになります。この停止ができるような速度は、具体的には5キロ未満です。つまり、急ブレーキをかけず、普通のブレーキをかけただけで自然に止まれる速度のことを言います。趣旨は、横断歩道である以上、車は停止線あるいは横断歩道直前で、ゆっくり段々と速度を落としながら、止まるような速度で近づいてくるということを信頼してよいという趣旨であり、その期待を保護することです。言い換えれば、信号機がなくても、横断歩道である以上、人などが飛び出してきても停止できるような速度で走行させることを車両側に課することで、横断歩行者の安全の保護を徹底する規定なのです。このような事故が本当に起きるのかと言いますが、実はこれがとても多いのです。どこで多いのかというと、通学路、通学時間帯における、小中学生です。飛び出してしまうお子さんが多いのです。しかし飛び出しても、これで死亡させれば必ず立件され、ほぼ間違いなく公判請求されます。公判請求され、通学路、通学時間帯、小学生であった場合は実刑となる可能性すら生まれます。これが今38条1項前段の守備範囲です。いないことが明らか、と書いてありますが、これは例えば、横断歩道側の歩道の端に電柱があり、運転者から見るとその電柱の裏側に歩行者が立っていて発見できない場合、あるいは2車線ある通行帯で、第一通行帯の横断歩道直前に他の車が止まっており、その時第二通行帯を走行して横断歩道に接近するケースでなどでは、横断歩道上や歩道の端にいる人が見えません。この場合も必ず止まれるような速度で運転しなければなりません。実際に私自身が、自動運転だと称しているようなところで実験してみたことがありました。電信柱に隠れて横断歩道側の歩道の端に立っていたところ、想定どおり、自動運転と称する車は私の前に素通りしてきました。この1項前段が非常に重要です。急な飛び出しであれば、予見可能性がない、結果回避可能性がないということにはなりません。横断歩道では、急な飛び出しは予見しなければいけない。そして、急な飛び出しがあっても衝突しないような速度で走らなければならない結果回避義務が課せられているということです。ここをよく注意していただきたいです。次のページをお願いします。
後段は、現に横断している、あるいは横断しようとしている歩行者を、加害者が認識している場合です。この場合は、止まれるような速度で運転するのではなく、必ず停止しなければいけません。なおかつ、歩行者の進行を妨げてはいけません。つまり、目の前を横断者が通っていき通り過ぎたからといって直ぐに発進してしまうと道交法違反です。なぜならば、横断者は渡りながら、途中で何かを思い出して戻ってくることがあるためです。そのため、自車からみて横断者との距離が安全な距離に離れるまで停止を継続しなければなりません。実際に検察官の起訴状もそういった書き方をしています。横断者の通過を待つなどすることで横断者の安全を確認しながら進行すべき注意義務がある、といったような書き方をしています。ここでも、歩行者との距離が十分に離れるまで停止を継続できるようなプログラムを作らないと道交法違反です。次のページをお願いします。
そうすると、物陰から隠れている人が突然飛び出してくるようなこと、引き返してくることまで、本当にそんなことまで想定しなければいけないのかと思われる方もいるとは思いますが、横断歩道である以上、想定しないといけません。子供はそのような挙動を取ることが多いからです。横断歩道上で死亡事故を起こすとほとんどの場合公判請求され、罰金では済みません。通学路、通学時間帯、小中学生であれば、ほぼ全件禁固刑で、場合によっては実刑となります。従って、この二つのパターンを想定しないでプログラムを作った場合には、自動運転車の技術開発担当者は、今の道交法では予見可能性があった、結果回避可能性があった、結果回避義務違反があったとして、刑事罰を科される可能性があります。次のページをお願いします。
道交法の38条1項前段は、人がいないことが明らかでない限り、止まれるような速度と書いてあります。ところが、今の自動運転システムは、人がいることが明らかな時に限り一時停止をしたり、一時停止できるような速度で進行すれば良いという前提で作られているのではないでしょうか。つまり、全くの正反対の状況認識にあるということです。よって、今後自動運転のプログラムを作るときにはどうしたら良いかということでは、二つの点に着目する必要があります。目前の事故を回避するためにはどうしたら良いかという目線は重要ですが、そこに科学の粋を尽くすだけでは不十分です。道交法は万が一でも事故が起きないようにするためにどうしたらよいか。特に相手には大人と異なり、注意力・判断力・予測力が劣る小学生・高齢者などの交通弱者もいるため、これを前提に万が一にでも事故が起きないようにするにはどうしたら良いかを考え、精微に精微を尽くして作られています。ですから、自動運転の実装のためには、まずは道交法をしっかりと学び、道交法に従ったプログラムを作ることに資源を投資すべきです。
最後に、横断歩道上での飛び出しは、信頼の原則には反していません。むしろ、横断歩道は飛び出してくることを前提に運転しなければいけないということです。以上です。
小塚主査: ありがとうございました。藤田先生のご出席が残り5分程度とのことですが、何か一言コメントはございますか。
藤田構成員: 既に申し上げたことですが、具体的な内容を持つ交通法規、具体的な行為規範が与えられるような交通法規の遵守について、結果回避義務の枠組みの中で議論するのか、それともそもそも交通法規を遵守させないようなプログラムは作ってはならないというプログラミング上の制約条件として課してしまう方が制度としてはっきりわかりやすいのかということについて、いずれの形で整理するかについては別途今後検討していただければと思います。高橋委員がおっしゃられた具体的な例について、そういったものを許すようなプログラムを作ってはいけないというところは、全くおっしゃるとおりなのですが、法制上どこに位置付けるかということは議論の余地があり、今後検討していただければと思います。
小塚主査: ありがとうございました。それでは稲谷先生、お願いいたします。
稲谷構成員: ありがとうございました。私の方は、本日いただいた具体的な例というよりは、今回のご提題は、最終的に先程の藤田先生のお話とも関係しますが、どういう形で現在の法規と自動運転の挙動を司るプログラムとの関係性を捉えていくのかというところが、最終的に非常に大きな論点になるところで、そこに対する一つの問題提起であると理解をしております。ですので、そうした観点から、少し大きめの議論という形で、少し所感を述べさせていただければと思っております。
基本的に道交法にしても刑法にしても、あるいは他の交通安全システムに関係する法律にしても、狙っているのはより安全な交通システムを実現するということだと思います。現在の道交法や刑法等の関連法規が人間を相手にしている場合に、安全性の向上という観点から一番良い状態になっているのかということ自体も、少し分からないところもあるかと思います。しかし元々、規制のデジタル化という観点では、デジタル臨調作業部会から一貫して携わらせていただいておりますが、規制をデジタル化するという観点からいくと、人間の行う認知・判断・実行という、規制により課されたタスクをどういう形でAIやロボットに代替していくのがより安全で効率的な社会を実現できるのかという観点から見ていかなければいけないという一般論があると思っています。人間のストロングポイントとAIのストロングポイントとは基本的にずれているため、AIやロボットに人間と同様の動きを求めると、かえって安全性や効率性が低下するという場面があり得るということも念頭に置いた方がよいと思います。そうすると、現在の道交法や刑法、更には道路運送車両法といった交通システムの安全性に関する法規が、どういう形で安全性の向上という機能を果たしているのか。その機能の中で機械代替していくポイントはどこなのか。そのためには法規自体がどのように変わっていくのかといったことも視野に入れて考えなければならないところで、今回のご提題がそうだという訳ではありませんが、単純に現行の法規をAI・ロボットに守らせていくのが良いという話になると、自動ハンコ押し機のような不要なものを作ってしまったり、AIやロボットの活動により安全性や効率性を向上させることもできる余地をかえって狭めてしまったりして、自動運転システムを上手く使うことで交通システム全体の安全性を向上させよう、また社会全体の利益を上げようという議論に結果的に反してしまうこともあり得るというところに、少し注意が必要だと思っております。このサブワーキンググループ冒頭に大臣からもお話がありましたとおり、自動運転システムを導入していくことは、日本社会の基盤的なインフラを維持したり、多くの人々の生活水準を維持したりする上でも不可欠な課題であることを踏まえると、関係法規と自動運転システムのプログラミングやデザインの関係性、更にそれを取り巻く道路環境をどうするのかといった関係性も含めて、いま述べたような趣旨でより踏み込んだ分析を行った上で、自動運転システムを適切に活用できるようにする観点から、交通安全システムの安全性と効率性を向上させていくという方向で、議論を深めていく方がよいのではないか、ということを少し申し上げたいと思っております。以上です。
小塚主査: ありがとうございました。会議終了時間も過ぎているため、これ以上議論を進めることが難しいのですが、稲谷先生が最後に言われたことは、私も同じように感じております。道交法を含めて、現在法律はすべて文字で書かれていて、最終的には人間がそれを読んで解釈し適用するということになっています。しかし、自動運転の場合にはそれをプログラムにしていかなければならず、これはある意味では翻訳だと思います。人間の言葉、日本でいえば日本語からプログラム言語への翻訳を行うわけであり、どのように翻訳をしていくのかということが、自動運転の実用化された社会をよりよいものにしていくのか、つまり事故ができる限り少ない社会にしていけるのかということであると思います。この翻訳の仕方について、今後議論をしていく必要性を私も感じております。稲谷先生のご指摘もありまして、このサブワーキンググループとして打ち出していければと思っております。
また、本日は何人かの先生からインフラとの関係をご指摘いただき、これはあまりこれまで当サブワーキンググループでは議論してこなかったため、どんな取り上げ方ができるかを事務局とご相談させていただければと思います。
それでは、本日のサブワーキンググループの総括を行いたいと思います。デジタル庁の蓮井審議官に総括をお願いできればと思います。よろしくお願いいたします。
蓮井審議官: 本日改めまして、先生方大変ご多忙のところ、非常に熱心にご議論いただきありがとうございました。議論を少し詰め込み過ぎたところもあるかと思っております。いつも長くなってしまい申し訳ございません。
本日は民事の責任のあり方をご議論いただいた上で、刑事責任の過失の意義、責任範囲の明確化、更に髙橋先生からご提言いただいた道交法における課題、様々なご意見・ご指摘をいただきました。民事につきまして、後藤先生から検討すべき構成要素を分かりやすく整理いただいたと思います。考えられる三つの選択肢をご提示いただきました。これに対し、横田構成員からも被害の迅速な回復という観点を中心にご意見をいただきまして、より今後詳細な制度設計にあたっての考慮要素についても理解が深まったところかと思いますし、先生方からも様々ご意見をいただきました。
刑事責任につきましては、今井先生から過失犯に関する判例の概要をご説明いただき、抽出される検討課題、結果の予見可能性と回避可能性が非常に大きな議論になったと思います。更に、自工会にご作成いただいた四象限を修正する形での責任のあり方について、ご整理いただきました。様々なバックグラウンドを持つ方々からなる本サブワーキンググループにおきまして、刑事責任の考え方に関し、かなり共通理解が進んだと思います。これは、小塚主査からもご指摘いただきました。併せて髙橋構成員からご説明いただいた、道路交通法38条1項の課題ですが、非常に遵守が難しい中で、どのようにこれを自動運転・AI等に合わせた形で翻訳をしていけるのかという部分もご指摘いただきました。
以上のような、非常に重要な論点提起をいただきました。予見可能性・回避可能性のバランスの話もあったかと思いますが、今後本日整理いただいた内容、道路交通法の遵守のための自動車事業者視線の取り組みの仕方といったことにつきまして、保安基準やガイドラインなどにおきましても、定性的・定量的に基準を定めていくことも重要だと考えております。
本日ご議論いただいた民事責任、刑事責任、道路交通法というテーマを含め、5月に一定の取りまとめをできないかと思っておりますが、そこに向けて本日いただいたご意見を踏まえ、引き続き検討を進めてまいりたいと思っております。次回第5回のサブワーキンググループにおきまして、事務局からこれまでのご議論を踏まえて一定の整理をお示ししたいと思っております。引き続き、構成員や関係省庁の皆様にもお力添えいただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。本日は誠にありがとうございました。
小塚主査: ありがとうございました。時間が非常に制約されておりましたので、もしも追加のご意見がございましたら、来週の金曜日までに事務局宛てにいただけますようお願い申し上げます。
またいつもと同様ですが、本会議資料につきましては後日デジタル庁ホームページで公表します。議事録につきましては、先生方にご確認いただいた上で、デジタル庁ホームページで公表いたします。
蓮井審議官からもお話がありました次回第5回のサブワーキンググループは、4月下旬を予定しております。議題をどう組み立てるかについては現在検討しておりますので、追ってご連絡を申し上げます。
それでは、本日第4回のサブワーキンググループをこれにて閉会とさせていただきます。ありがとうございました。